new NAPPAFUKU-4 (2021530)

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退任した頃(2)
 そして、80歳の手前20日前の8月31日(この8月31日は会社の期末日でした)に退職(退任)させてもらいました。しかし、課題をいくつか残してしまいましたので、すべてがうまくいったわけではありません。それらは後を引き受けてくれた人達に委ねることになりました。


 その翌年の、一昨年2019年、若返った経営陣で会社設立50周年を迎えることができ、新経営体制がスタートしました。(注)

 

 私は中学卒業式の翌日から職について、約65年間を経て職(仕事)から離れることになりました。仕事を離れるにあたってこれから先にやりたいことを以前に決めていました。

 

 実は50歳前後に、右目の網膜剥離を患い入院3回手術3回と約1年間入退院を繰り返し、職場に復帰できない事態になってしまいました。しかし、会社は社長がいなくて役員・社員が頑張ってくれて無事に乗り切ることができました。ありがたいことでした。


 この網膜剥離の治療は手術後7~10日間ほどは絶対安静しなければなりませんでした。(現在でも同じかどうかわかりませんが)網膜剥離は命に直接影響しませんが、目の事ですから目を使うようなことができません、つまり本を読んだりTVを見る事ができません、出来るのは耳で聴くことと頭で考える事でした。
 耳で聴くことは、ラジカセとカセットテープやCD、それにヘッドフォンを持ち込んで音楽やラジオを聴くことでした。そしてもう一つは頭を使うこと・考える事でした。
 この入院中の時間がこれまで生きてきた50年を振り返るまたとない良い機会になりました。(ことは後に触れる機会がありますのでここでは触れません)

 

 その中で、これから先のことについてもいろいろ考えました。しかし、メモを取ることもできないし声を出して録音することもできませんでしたので、考えたことは頭の中に残しておかなければなりませんでした。今、私の中心的な仕事(?)になっている真空管オーディオを復活することもその中の一つでした。


 いろいろ考えた中で、これからの人生について10年ごとの計画を考えました。「残りの人生を何に使うか?」と。
<次回に続きます>

 

注:私の個人創業時1965年1月からすると54年と少し長くなりますが、株式会社設立時の1969年5月1日を創業記念日としていますので2019年で50年になります。