new NAPPAFUKU-15(20210614)

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電気屋駆け出し時代:初めての「立体放送」

 

写真は在職時代に自作した「50C5 SRPP」を復元したアンプ、 この元のアンプは若いころ最後の自作品となった。

 

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 仕事は何もかもが珍しく面白くて興味深々、瞬く間に半年が過ぎたが、しかし、定時制高校と仕事の掛け持ちの毎日は厳しかったようだ。半年ほどたった8月の盆頃、突然体調不良に陥ってしまった。朝は7時に起床8時前には自宅を出て会社へ、仕事が終わると学校へ、夜10時ころに学校を出て帰宅するのは夜の11時を過ぎ就寝12時というのが続いたからかもしれない。
 今風に言うとストレスからだったのかも、元気喪失、母が心配して病院へ連れてくれたが原因不明、便秘でしんどかった記憶がある。どうして直ったの記憶がないが、会社は幸い盆休み中だったので、欠勤はしなかった。
 それから何事もなく出勤できたが、秋から設計助手を仰せつかった。最初は図面トレースから始まり、先輩の書いた基本設計図からの展開、板金加工図の作成と進んだ、幸い中学時代に製図を学んでいたので、割とうまく描けていたと思う。設計の傍ら製品検査もやった。外注先から入荷する製品の検査が中心だが。何時もあるわけではないので、設計と検査を掛けもっていたようだった。この設計製図や検査業務は起業してから随分役にたった。

 

 当時は「初歩のラジオ」「ラジオ科学」「ラジオ技術」「電波科学」「無線と実験」などが発刊されていたが、「初歩のラジオ」と「ラジオ技術」を熱心に読んだ。初歩のラジオ」に倣ってラジオキットを買って数台作ったこともあった。

 

 入社した年だったが、この頃からNHK第一、第二放送電波を使ってステレオ放送があった、社長の粋な計らいで、昼休みを延長し、ラジオ2台を置いて聞けることになった。曲はベートーヴェン第九「合唱」、初めての立体放送は驚きの一言だった。

 調べてみると、NHKでは1952年実験放送が始まり、1954年(S29)に「立体音楽堂」として始まった、とあるので、この記念放送だったのかもしれない。関西では朝日放送毎日放送で立体音楽放送があった。

 

 私も2CHラジオコイルキットを買い、「50C5SRPP]2CHアンプを作り、スピーカも2個作った。しかし、せっかくつくったのに、立体放送はAMからFM放送へ移ってしまい、あまり長く使わなかったような気がする。 

  AM2CHラジオやアンプも発売された、今日ヤフオクで時折この頃のアンプが出品されているのを見かけることがあって懐かしい。