new NAPPAFUKU-27 (20210626)

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 この物語は私個人の見解(見たり聞いたり考えたりしたこと)ですので、失礼があればご容赦ください。

 ここでの問いかけは「倒産もプログラムしてきたのか?」

自分の「人生のプログラム」があるとすれば、他者にもあると思うのだが、はたして?

 

倒産物語②D社
 2番目はD社を取り上げる、創業者は以前に出てきたS社のI氏、長期出張のお供した方である。

 私が創業した4~5年後のころ、D社を創業されたのを風の噂で知った。S社出身ということで京都では注目され、自らベンチャー企業と名乗り技術先行型でものすごい勢いで急成長し注目を集めた。

 

 ある時、業界でI社長の講演会があった、久しぶりにI社長の顔を拝見しながら聴かせてもらったが、かつて一緒に仕事したころの感じとは全く変わってしまっていたのには驚いた。話の内容も驚くやら感心するやらであった。その中に、三六協定をまったく無視した労働条件、残業・徹夜、休日出勤は当たり前ということにはア然とした。

 

 私とは直接仕事の関係はなかったが、その講演を聞いた後、或る仕事で一度接点があった。T社に納入するD社の装置に付属するPCシステムである。

 納品立ち合いの日時が決まり、PCメーカの人とT社へ出向いた。既に装置が納入されているものと思っていたが見当たらない、T社担当者の話では、午後に入荷することになっているのでしばらくお待ちください。とのことだった。ところが待てど暮らせどその気配がない、T社担当者も困ってしまって、D社へ連絡したようだが・・・、結果、まだ装置が完成していないので今日はキャンセルにしてくれとのことだった。担当者も困ってしまって平謝りとなった。実は当日までそれがD社製品とは私は知らなかったのだ。

 

 それからかなりの後に納品となり、再度接続テスト立ち合い要請があった。現場に到着すると装置のテスト中であったが、PCインフェース部分はまだできていない、とのすげない返事。これにはあきれてしまった。それで、インターフェース条件を確認して、当方の仕様に完全に合うようにしてくれ、と言って次回は立会しないとの約束にした。

 

 その後の経過は知らないが、たぶんD社が条件を合わせ、PCの操作はT社担当者がしたのだろうと思われ、当方には何んのお咎めもなかった。

 

 この事があってから数年後に倒産の報があった。ものす ごい勢いのあるD社だったので、この知らせにもびっくりした。企業が成長してくると、営業・財務・技術・製造のバランス、つまり、人・技術・資金(人物金)などの経営総合力が問われる。労働条件もさることながらお客様に約束が守れない、納期が守れない、遅れても当たりまえ、という社風をうかがわせる倒産ではなかったかと思う。これは急成長した技術先行型ベンチャー企業の弱みでもあったと思う。

 

 創業者I氏は退陣されたが、残った人達が他企業の支援を受けて再建、その後立派に成長されている様子がうかがえる。これも立派なことと感心する。