new NAPPAFUKU-26 (20210625)

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 この物語は私個人の見解(見たり聞いたり考えたりしたこと)ですので、失礼があればご容赦ください。

 

ここでの問いかけは「倒産もプログラムしてきたのか?」

 

倒産物語➀P社
 最初に,、私が11年間お世話になったP社を取り上げる。1999年ころ倒産、京都の産業界でもショックが走った、もちろん私も大きなショックを受けた、私が退職してから約30年後のことであった。

 

 私が知っていることの概要は次の様である。私が退職したころから社長が病に倒れ長期治療入院となった。それで会社は社長不在の状態が長く続いた。闘病の末、社長が亡くなった、私も葬儀に参列させてもらった。

 それから求心力が徐々に低下し、本来なら2番手の常務(専務は無かった?)か、ご子息が社長に代って経営のかじ取りをするのが普通だ。社長には息子さんがあったが、跡を継ぐ意思がなかったのかも。それで社長は創業時からの役員だったI氏が後を継いた。I氏は営業畑で会社の発展を営業面から支えてきた方である。


 在職時、私とは畑が違うので仕事で話すことは少なかったが、退職時に社長が入院中だったので次の実力者といわれたI氏にお世話になったお礼を言うべく自宅に伺った。

 私が創業してから十数年後、京都産業界のある会合で初めて顔を合わせた。その後も何度か顔を合わせたが「がんばってるそうやな」のあと必ず「君が辞めてから、同期が皆やめたやないか!」とお叱りを受けた。

 

 P社との取引関係はなかったが、業績が悪いとの噂は聞かなかった。が、突然「倒産」の報が入ってきた。P社はS社の出資もあったが支援されなかったようだ。当時の倒産情報ではS社に相談が無かったとも記載されていた。

 

 その後、いろいろな話が耳に入ってきたが、要約すると「技術開発力が落ち、資金繰りがつかなくなった」。私の推測では「銀行融資に保証人や担保を求められ、I氏は応じられなかった」ので融資がストップしたのではないかと思っている。I氏は自分の生命・財産を投げ出してでも会社や社員の生活を守るという強い意思がなかったのではないかと思われる。ここが創業者と2番手の最大の違いであると思う。結果、自分は守れたが会社は倒産、多数の社員が路頭に迷うことになった。

 

 P社はその後、若手の有志が別のP会社を立ち上げ、業務を引き継ぎ現在も立派に活躍している。勇気ある行動であったと感心している。

 

 後日談があり、P社から数人の人材を引き受け彼らに活躍してもらった。約20年近く勤務して順次高齢になって定年退職となったが、最後の一人が70歳まで仕事をさしてもらった、と言って挨拶に来てくれた。