newNAPPAFUKU-19(20210618)

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起業のキッカケ
 

 話は戻るが、京都府鴨沂高校定時制を卒業したのは1958年(S33)、その1年後に大学を目指し某国立大学工学部計測工学科を受験したが、見事失敗!。その受験帰りの電車の中で、このままではとても歯が立たない、試験は数学が滅法難しかったが他の8教科は何とか70点台は取れているはず、と慰めて再度目指すか否か考えた。国立大工学部はとても無理で某私立大工学部第Ⅱ部(夜間制)をとも考えたが、仕事を続けながら大学進学はムリがあるときっぱりあきらめ、それでは「独立(起業)しよう!}とこころに決めた。これが最初。
 

 これにはわけがあった、1年前の事、定時制高校卒業時に同期生5人が、上司である取締役製造部長に「高校へ進学し、無事卒業できたことをお礼しよう」と卒業証書を持って挨拶に行った時の事である、一通りのお礼をして、卒業証書を見ていただき、「よく頑張った」とお褒めをいただいたまでは良かったが、この後の話「・・・」、は支障があるので割愛するが、私たちが思いもよらない言葉が返ってきた。

 「この会社はあかんなぁ」と5人ともが思ったことだった。そしてその後6~8年の間に私が先陣を切って辞め、次々と同期6人の内5人までが辞めてしまった。
 
 話を元に戻して、卒業時の上司の言葉に衝撃を受け、大学を目指したが受験失敗したことが独立起業を意識するキッカケとなったが、しかし20歳ではまだ早いし、企業のことは何も知らないので後5年間は会社で勉強さしてもらおうと考えて業務に精励、無遅刻無欠勤を通し、新しい仕事にも積極的に取り組んでいった。スキーや登山にも行った。オーディオもなけなしの小遣いをはたいて自作した。
 会社は別の場所に新工場が竣工し、自社製品関係はそちらに移ったが、S社の仕事が主であった私は本社に残ることになった。新工場は会社にとっては大きな投資であったが発展していった。
 

 さて、起業独立を意識したが経営の勉強はどうしたらよいのか?とよくわからないままであったが、本屋で「経営学入門」(*)というのを見つけて勉強し始めた。そして、その機会がやってきた。
 

 それは1964年(S39)10月(前回)の東京オリンピック前後の不況時だった。オリンピックで浮かれすぎた分落ち込みも激しかったのであろう、それまで山のようにあった仕事がアッと言う間に消えてしまった。主だった人が辞め。社外に出向させられる人・・・会社もピンチに見舞われた、私が担当していた仕事もしかりで、することが無くなってしまった。会社をやめるなら今がチャンスかも、と考え1965年(S40)8月(26歳時)に退職、11年余りお世話になった会社に別れを告げた。仕事や独立の当てがあったわけでは無いので、しばらく義兄の電気工事仕事を手伝った。
 仕事をするように勧めていただいたのは、かってのP社先輩NS氏、担当していたS社やK社からもP社を通してやらないかと勧められた。わずかな退職金を基に小さなおんぼろ掘立小屋を借り、かつての部下OY君一人を誘って二人で個人創業したのは翌年の1966年(S41)1月(27歳)の事だった。今風に言えばガレージ起業である。ちょうど不景気風が去って景気が上向いてきた頃でタイミングがよかったのであろうか、S社関係を中心に仕事が始まった。

 

参考までに:文中に出てきたところの現在のホームページ
➀「経営学入門」は坂本藤良著はこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E8%97%A4%E8%89%AF
記載内容の一部を引用:
 1958年、一般に向けて平易な文章で書かれた『経営学入門』(光文社)が爆発的に売れ[3]、広範な経営学ブームを巻き起こした。後に作家の井上ひさしが昭和33年を代表する本として取り上げている[* 11]。以後「経営学の神様」とよばれ[4]、講演・執筆等に八面六臂の活躍をし、多くの著書を残した。

②S社はこちらです
https://www.shimadzu.co.jp/

③卒業した高校はこちらです
http://www.kyoto-be.ne.jp/ohki-hs/mt/

④某国立大学はここです
https://www.nitech.ac.jp/

⑤某私立大学はここです(現在Ⅱ部は無い)
http://www.ritsumei.ac.jp/

⑥私が在職したP社は1999年頃に倒産したのでHPはないが、その後を引き継いでいる会社のHPです
https://www.pantos.jp.net/