new NAPPAFUKU-8 (20210604)

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社長を退いた出来事

 

写真:半導体製造工場の一例(WEBから引用)f:id:arunas001:20210604090859j:plain


「生涯現役」という響きの良い言葉がある、そうありたいとあこがれる方も多いと思う。私も40代はこの言葉に魅力を感じで生涯現役であり続けたいと思っていた。ところがそうはいかなかったのだ。

 

 丁度60歳手前ころ(今から25年ほど前)半導体不況が襲ってきた。シリコンサイクルという半導体業界特有の4~5年ごとにやってくる不況である。何度目かの不況だったがこの時は本当に厳しい状況に追い込まれてしまった、それまでにあった売上がストン激減してしまったからである。

 

*シリコンサイクルはこちらをご覧ください*
https://www.weblio.jp/content/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AB


 
 創業以来オイルショックを始め円高不況、半導体不況など何度か不況に見舞われ、その都度乗り切ってきたが、今回はピンチに陥った。
 人員整理(当時はリストラと呼ばれた)で、約30名のパートさんを全員解雇、社員も30名ほどが解雇になった。従業員総数を75名以下にしなければこの大嵐は乗り切れなかったのだ。それまで一緒に頑張ってきた人たちを泣く泣く首(人員整理)に踏み切った。
 人員整理対象者には、一人ひとりと面談し頭を下げて事情をよく話して、納得していただき、法に基づいて解雇したが、こころから大変申し訳なく思っている。このことは私の企業経営上で最大の汚点となった。

 

 当時は半導体関連受注が好調で7割を超えていた、それが急激にほとんどなくなってしまったから人員整理以外の方法が無かった。その後の業績回復の見通しが立ったころに人員整理の責任を取る形で60歳時に社長を後輩にゆだねた。

 

 「生涯現役」の話の戻るが、自分の全くあずかり知らないところで半導体不況が起こり、やむなく人員整理、社長を譲ることになり、「生涯現役で頑張ろう」はむなしく崩れ去ってしまった。
 
 しかし、後に分かったことがある、それはいつまでも私が生涯社長で頑張っていたらどうなっていたか、と仮定してみるとはっきりすることがある、それは社長人材が育たないことであった。そして順に下の人が育たない、ということ、つまり、いつまでも上に重しが乗っかっていたのでは下が育たないということだった。

 「社長を譲る」→「新社長を育てる」→「その下の社員を育てる」→「自分を育てる」とにつながる。「自分も育てる」というのは会長職を務める会長自身(自分自身)を育てるということであった。
 

 まとめると「急激な受注減少による人員整理」のピンチは「新社長を育てる」「社員を育てる」「会長(自分)を育てる」という「人材育成」と「会社そのものを育成する」というチャンスになっていた。