newNAPPAFUKU-24 (20210623)

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<一寸長い文になります>

 

 以前、50歳頃に網膜剥離で入院したことを述べたが、この田舎疎開生活からの足跡を振り返る機会があった。おぼろ気な記憶を頼りにいくつかのことはわかってきたが、どうしてもわからないこともあった。母がぼつぼつと話してくれて分かってきたこともあったが、母にもわからいこともあったらしい、話したくないこともあったようだ。
 今は父母とも故人となっているので本当はどういうことだったのか、今もわからないことがいくつかある。これは、私が「どうして起業したい」と思ったのか?に関係している。

 

 以前にのべたが、ひょっとしたら「生まれる前に自分の人生のプログラムを組んで生まれてきたのではないか?」を知りたいからである。
 これまでの人生には、自分にとっては良いことも悪いことも、理不尽なことも、嫌なことも、つらいことも、繰しいことも、楽しいことも、すべてが生まれてから始まり人との出会い、出来事との遭遇、田舎、学校、就職、職場、そして大学受験失敗したのも、起業したのも、そして今があるのは何もかも全てが「人生のプログラム」に従って動いているのではないか?ということである。
 
 その最初の部分、幼児期を考えると、先祖ー祖父・祖母ー父母ー兄弟姉妹と続く家族の系譜(遺伝も含め)がある。父母の下に生まれ兄弟姉妹で共に育つ環境から始まり、生まれた時代を背景にー家族ー地域ー京都ー日本ー世界の潮流へと連綿とつながる部分があるはず、そして世界の事も戦争のことも日本が負けることもプログラムの内にあり、すべてを見通して描かれていると思われる。
 この「人生のプログラム」膨大な綾なす織物のようなイメージが浮かび上がってくるが、本当に存在するのだろうか?考えてみれば不思議なことだらけである。


 オギャーと生まれてから、これまでの人生を歩んできた道は一本道である。曲がりくねっていても、遠回りしても、巨大な山川が横たわっていても、失意挫折しても、失恋しても、失敗しても成功しても、出会った人達や遭遇した出来事・・・それらをつなぐと一本の道につながる。つまり別の道・別の人生は無い、2本や3本の道はない。もしあの時あれが無かったらどうなっていただろうか。と思うこともあれば、あの人に出会ったから今の自分があると思えることもある。
 その何もかもが、自分が生まれる前に「人生のプログラム」と作りそれを実行するたの人生行路なのではないか?そしてその最終目的は何だったのか?何をするためであったのか?
 
 今、私が師事しているハーモニカの先生は、私より年上の85歳・大師範(名称)であるが大変お元気である、弟子数は延べ1000人を超え、今は各地で常時約70名の門下生を指導されている。宿題が沢山出るので大変だが、毎回の熱心な指導は厳しくもあり楽しくもある。ある時、先生のご自宅を訪問する機会があった、その折に話されたことは、某企業の社長を務められたのち、ご自分の師匠にならい、ハーモニカの伝道師として生きようと決意されたことを話してくださった。そのような話をお聞きしてから、遊び半分では先生には大変申し訳ないと思い、気持ち入れ替えて練習に励んでいる。


 82歳になった今、この先、人生の終着駅まで何をするようにプログラムしてきたのか?、これを間違うとあと残りの人生時間では取り返しがつかないことになる。今からでも遅くないので自分が作った「人生のプログラム」を知り、人生の終着駅までそれに基づいてしっかり生きたいと願っている。