new NAPPAFUKU-14 (20210612)

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 13号で写真を掲載する予定でしたが、昨年(2020)分をまとめて掲載していたページがあり、ここに主なものが出ていますので個別の写真掲載は割愛させていただきます。

 

 ここからの話は一挙に小・中学校時代に戻り、その足跡をたどることに。


写真:電蓄(Webから借用)

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 京都御所近くの河原町丸太町角にある春日小学校小四の頃アコーデイオンを習ったことを書いたが、小・中学時代に電気電子関係の仕事に進む芽生えがあった。

旧春日小学校
https://www.marutake-ebisu.com/other/kyu-kasuga.html 

 親父が戦前から電蓄を持っていた、床の間にも別の大きなスピーカが置いてあった。ある時、どこから声が聞こえるのかなと、不思議に思いスピーカの後ろに回って、箱の中に頭を突っ込んだことがあった。<中には誰もいなかった?!>子供の頭が中に入ったくらいだから。かなり大きな後面開放型スピーカ箱であった。それが見つかって、笑いながら叱られたようだが、こっぴどく叱られた記憶はない。SPレコードもいくつかあってベートーヴェン「運命」やタンゴ曲があったように覚えている。

 

 現在の銅駝美術工芸高校ホームページ(旧銅駝中学校)
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?id=300407

 

 昭和29年(1954年)4月「京都市立銅駝中学校」に入学した。(現在は京都銅駝美術工芸高校)新京極など京都の繁華街のはずれ、鴨川べりに立地する環境の良いところにある。クラブ活動は友人に誘われて陸上部に入ったが、盲腸炎にかかり切開手術、半年もたたない内に退部、図書委員を務めることになった。
 
 図書委員は学校図書館を運営する役目である、1年先輩にMK君がいて、いろいろ良く教えてくれたことを思い出す。
 ガリ版謄写版)印刷方法、ガリ版文字の書き方、キャッチコピーの作り方、学級新聞や文集の作り方、模造紙の使い方、製本の仕方、文化祭の看板や飾りの作り方・・・実にいろいろ教えてくれた。そのおかげで卒業時には文化賞なるものをいただいた。これも就職後や起業後に随分役立った。
 図書館顧問のKI先生は、数学、技術関係が専門で3年の時に製図でならったくらいで教科としては習うことがなかったが、図書館活動ではいろいろ教わることが多かった。
 図書委員は本を自由に見ることができた、「初歩のラジオ」とかラジオに関する本がいくつかあった、そんなある時、私が熱心に「初歩のラジオ」を読んでいるのを見つけて、「どうや面白いか?」と声をかけていただいた。「それなら、手伝え」と学校放送の機材の扱い方や先生が実験しているワイヤレスマイクのテストを手伝うことになった。

 学業成績は?だが、理科授業の時、磁石とモータの実験があり、先生から「モータはどうして回るのか説明しなさい」との指名、どのように説明したか覚えてないが、後に担任から聴いた話では、その時の説明がうまかったらしい。 

 考えてみるとこのあたりから私の電気関係に進む芽生えがあったようだ。
 

 中学卒業後の就職進路指導があったとき、図書館顧問のKI先生が電気関係が良いと強く推してもらったらしい。担任もそのことを聞いていたようで会社へ推薦状を書いて、事前の会社見学会にも付き添っていただいた。当時(S29年)はクラスの半数は進学、残り半数は就職組という時代であった。
 従業員30名ほどの電気・電子関係の小さな製造会社(某有名企業の下請け)に就職が決まり、卒業式の翌日から勤務することになった。昭和29年3月21日のことである、ここが電気屋見習いのスタートだった。(就職先:日本電気機材㈱;当時名、後に倒産して今はない)

 

写真は記事に関係ありません

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