new NAPPAFUKU-2 (2021528)


 これまでの82年間を振り返ってみると私の人生を大きく分けると次のようになります。


➀幼少時:生まれてから入学まで
②勉学時代:小学、中学、高校の勉学のころ
③就職時代:中卒後から約11.5年間の仕事修行時代
④企業経営時代:27歳起業から79歳で引退するまでの半世紀
⑤現在:引退から今日まで

 

<ここからは独りごとのようなものです>
 このそれぞれの時代で出会った人、お世話になった人、失敗と挫折、苦難と成功、喜びと悲しみ、理不尽な出来事・・、などなどの足跡が残っている、しかし逆に言えば、これ以外の足跡はないし、仮にこの様であれば・・・という仮定・仮説のことは、当たり前だが足跡には残っていない。

 

 自分がこの年になったからわかることかもしれないが、この一筋の足跡は自分が歩いてきた道で、歩いていないところには足跡が無いのは、ごく当たり前のことである。だから、この道・足跡をたどって自分の過去を振り返ってみると、実にいろなことが分かってくる。それを一言でいえば、それらは「自分の人生の途上に必然として訪れた出来事である」ということ。

 

 今はコンピュータ時代、起業しコンピュータの仕事を始めてから感じる事は、自分の人生はひよっとしたら自分自身がプログラムして生まれてきたのではないか?ということだ。すなわち、自分の人生の設計図・プログラムを作って生まれて、そのプログラムに従って人生を生きているのではないか?と。


 コンピュータはハードとソフトから成り立っていることは今日では良く知られたことであるが、人間にも同じように体・肉体というハードがあり、意識・心というソフトがあって成り立っている。これは、人間が作り出した、ロボット・人間型や動物型ロボットを見れば、このことが理解できるのではないだろうか。

 

 このように、もし一人一人に人生のプログラムがあるとすれば、人間の集合体である家族、学校、企業、地域、国、地球、太陽系、銀河系、大宇宙と超広大な世界にまでそのプログラムがあるのではないか?と思える。そこにまで至らなくても、人間社会として他の人とのかかわりや政治・経済など社会の出来事なども、一個人の人生プログラムと深く綿密に複雑に絡み合って、精緻な網の目のようにつながて成り立っているように感じられる。
 とすれば、この先、残る人生の設計図・プログラムはどうなっているのか?

 

 今、世界はコロナ禍の真っ最中である、人類に襲い掛かるウイルスと闘い、この降ってわいた全く理不尽と思える社会の出来事・疫病の流行・・・これは一人一人の人間・人生に何か示唆することがあるに違いない。それは何だろうか?私たちにどう生きよと言っているのだろうか?